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ペルーの言葉  Puente(プエンテ)=橋  英:Bridge

  • 執筆者の写真: Kaz Suzurida
    Kaz Suzurida
  • 2013年10月5日
  • 読了時間: 3分

2013年10月5日

ペルーでも太平洋戦争に関する歴史がありますが、この戦争は第二次世界大戦における太平洋での戦争のことではなく、1879年から1884年にかけてボリビアとチリ、ペルーとの間で闘われた領土と新資源をめぐる戦争です。


まだ石炭に代わる燃料資源としての石油が登場する前のこの時代、新資源というのは、ドイツのリービッヒによって解明された植物の育成に必要な三要素である窒素・燐酸・カリの内の窒素と燐酸の事です。


肥料の有効成分である窒素・燐酸・カリのうち、燐酸成分と窒素成分を有し、ペルーの海岸部で産するグアノ(海鳥の排泄物や死骸の堆積物)と、当時ボリビア領であったアタカマ塩地から得られる窒素成分の硝石(肥料だけでなく爆薬原料にもなります)をめぐり、三か国が争った戦争が南米における太平洋戦争である訳です。


来る10月8日は1821年にペルーで海軍が創設された記念日であると同時に1879年に当時海に面する領土を有していたボリビアのアンガモス岬(現チリ領アントファガスタ近辺)沖で、ペルー海軍とチリ海軍が交戦した日でもあり、結果的にペルー海軍はこの海戦で国民的英雄であるMiguel Grau将軍を失い、敗戦を喫することになりました。


ただ、敗戦のきっかけとなった日であるにも関わらず、何故かEl Dia del Combate de Angamos(アンガモス海戦記念日)として国民の祝日となっています。


南米では完全に頭一つ抜けた先進国として静かに君臨するチリですが、この戦争以前は南北に細長い地形が災いし、戦力を集中することが出来ずに、それまで主流であった陸軍による戦闘では、明らかにボリビア・ペルーに劣後していましたが、逆にその不利な地形を何とか利用するために海軍の充実を図り、結果として五年間に亘る戦争に勝利し、その後の資源収入による国益の充実を図ることが出来た点は、日清・日露の海戦で一等国の仲間入りを果たした日本と似ているとも言えるでしょう。また、一連の戦争で負け続け、二等国以下の辛酸をなめ続けた中国とペルーが、それぞれの地域において頭角を現している状況は、諸行無常の理を引くまでもなく、国際情勢の変化の面白さを感じるケースと言えなくもありません。


で、今年のカレンダーでは10月8日は火曜日、月曜が休みになれば四連休、ということで、公務員は7日月曜も公休になりました。しかし、民間企業は休まず営業します。


今日の言葉、Puenteは元々は橋と言う意味であり、有名なイタリア。・フィレンツェのポンテベッキオのポンテ(Ponte)はスペイン語のPuenteと同じ意味の単語です。(Vecchioは「古い」の意味でスペイン語ではViejo)、Puenteには「休日に挟まれた平日を休むこと」と言う意味もあります。


と言うことで、来週は月曜を休んで連休にする人が多く、実働三日間の週になる気配濃厚ですが、日本とペルーの新たな架け橋としてのプロジェクトを推進するために駐在している小生は、休んでいる暇もなく、業務に勤しむことになります。

 
 
 

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