老舗の旅行代理店トーマスクックが破産しました。
トーマスクックと言えば、我々’80年前後のバックパッカー世代にとっては赤い表紙でヨーロッパの全鉄道網を網羅する時刻表の会社として記憶に残っています。
携帯電話もインターネットも無かった1981年3月、大学4年への進学を前にした春休みに友人と一緒にクック時刻表と「ヨーロッパ一日10ドル」(当時は1ドル220円)というガイドブックを手に、南回りパキスタン航空で北京・イスラマバード・カイロを経てパリに到着しました。日本で購入したユーレイルパス(ヨーロッパ版”青春18きっぷ”)で欧州各国を寝台列車で回り、ジュネーブの駅で仲間の米国人学生と合流してからドーバー海峡を渡ってロンドンに行き、格安航空会社の走りとも言えたLaker航空でニューヨークに渡って、プリンストン大学の寮やセントルイスの友人宅を転々としながらグレーハウンドバスでL.A.にたどり着き、サンフランシスコからハワイ経由中華航空で羽田に帰り着いたのが、今の世界観の原点となりました。
その風来坊経験を引きずったまま会社員時代に50カ国以上を回り、今年早期退職して、最後の駐在地パラグアイのアスンシオンに居残っている訳ですが、今週はそんな学生時代に戻ったかのような旅をしてきました。行き先は隣国ボリビアの田舎町Villa Montes。アスンシオンから陸路で往復約2000㎞のドライブでした。
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先週はチリとボリビア・ペルーの間の領土戦争=太平洋戦争について書きましたが、今回訪れたVilla Montesはパラグアイとボリビアとの間で戦われたチャコ戦争(1932-38年)の激戦地。
現在のビジャモンテスは人口約5万人の山間の小都市ですが、チャコ戦争前にドイツ人によって整備された町並みは美しく、パラグアイ北の真珠Concepcionとは別の味わいの古都を感じさせるところです。
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Villa Montesはパラグアイ側の上流支流のピルコマヨ川畔に位置し、川魚料理や安くて美味しいボリビアワインが楽しめるだけでなく、硫黄泉の温泉宿もあって、行政が観光客誘致にも積極的に働いています。
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その観光のポイントの一つがパラグアイとの戦争の跡地をめぐる史跡ツアー。Gran Chacoというボリビア・アルゼンチン・パラグアイの三国国境に広がる地域を包括的に開発しようという参加国の地域行政府の方向性は、戦争を二度と繰り返さないためにも過去を振り返って学ぼうという前向きな姿勢で、隣国との軋轢が経済問題にも発展している日本も学ぶべきものと思われます。
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小ぶりな天然ガスの冷却装置も発見しました。
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今回の訪問は、パラグアイのMariscal Estigarribia市とボリビアのVilla Montes市に共通の課題である先住民族の生活向上に両行政府が如何に支援すべきか?というテーマを外国人の視点からも考えてほしい、との要請を受けて行ったものですが、自然溢れる素晴らしい環境のチャコ地方を日本の皆さんにももっと知って頂く為のプラットフォーム作りに貢献できるように工夫を凝らしてまいります。
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