2013年11月17日
先週ベネズエラでマドゥロ大統領が発した「商店の価格が不当に高すぎる」という声明を受けて、地方都市の多くで略奪が発生したことは、ペルーでも大きな話題になりました。
今のベネズエラ情勢は80年代末期のペルーを想起させる様で、多くの人々が強い関心を持って注目している一方、二期目の政権(2006-2011)担当時に受け取ったとされるMega Comisionが問題視されているAlan Garcia前大統領の一期目(1985-1990)ですら、今のベネズエラのような不可解な経済運営は無かったと、おかしな優越意識で語られています。(実際には1990年に7,649%という天文学的インフレをマークして、欧米のみならず南米他国の嘲笑のタネにされていたので、今はその仕返しに嗤い返している、とも受け取れなくもないですが。)
こうした会話をペルー人としていると、必ず「何故日本ではサケオが起こらないんだ?」と尋ねられます。
Saqueoは、経済不安や治安の悪化が生じる時、多かれ少なかれ発生する南米名物のようなもので、ペルーでは1940年5月に台頭する日系人経済へのやっかみをきっかけに全国規模のSaqueoが起こったのが始まりであることから、ペルーに駐在する上で知っておくべき歴史と重要なキーワードであると思います。
翻って、1995年1月の阪神大震災や2011年3月の東日本大震災の際でも、被災した市民が整然と行列をなしてコンビニで買い物をする光景は、非常に不思議なモノとして映ったようです。
日本でも有名な大正7年(1918年)の米騒動等、歴史的には物価の急騰や極端なモノ不足の際に暴動が起こった記録はあるものの、少なくとも50余年の小生の記憶では、1973年のトイレットペーパー騒動や1993年の米パニックはあったものの、これが全国的な暴動騒ぎに発展した訳でもなく、確かにペルー人の指摘の通り、日本人は高い道徳性を身に着けた国民性を持っていると言えるのかも知れません。
経済好調とは言いながら、いまだに貧富の格差は歴然としており、大多数を占める貧困層の票の取り込みが政治家にとって重要なテーマである以上、ペルーでもサケオが再発するリスクは何時でも発生しうるものです。
ベネズエラで1989年2月に全国暴動が発生した際には、夜間外出禁止令、いわゆるToque de queda(トケデケーダ)が出され、1992年2月のクーデター(Golpe)の際には、こうした単語の存在すら知らずに右往左往した経験から、非常時に備え覚えておかれることをお勧めします。
先週末はAELU(Asociacion Estadio La Union)と言う日系人運動場で年に一度開催される大規模なMatsuri(祭り)があり、初めて出掛けてみましたが、二万人以上の来場者に埋め尽くされた会場で、多くの神輿が繰り出され、艱難辛苦を乗り越えて確固たる地位を気付き上げた初代日本人の皆さんのご苦労に改めて敬意を表した次第です。
尚、1940年の日本人を対象とした大規模なサケオを含め、ペルー経済の根幹を築き上げた日系人の歴史については『かなりやの唄』(坪井壽美子著)という本に極めて詳しく克明に著されています。是非ご一読ください。
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