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  • 執筆者の写真Kaz Suzurida

ブラジルの言葉 filho(フィリョ)=息子  英:son 西:hijo

2016年4月30日

今週は初対面のお客さんとの会話でかいた恥の話。

今頃なんでこんな基礎単語のご紹介になるのか?と言うと、

マルコス○○Filho君(○○は名字)という友人から紹介を受けたオズワルド△△Filhoという人と初めて会って名詞を交換、出身地もマルコスと同じということで、

「あー、もしかしてマルコス君のご親戚ですか?」と尋ねたところ、

「先週日本に行ったのですが、泊まったホテル全部で僕の名字がFilhoとして登録されていました。日本の方には良く間違えられるようですね。これ、名字の一部の様に見えますが、英語で言うJr.(ジュニア)なんですよ。親父が僕に同じ名前を付けたので、△△Filhoなんです。マルコス君とは親戚ではないです。」との回答。

今まで二年もブラジルに住んでいて、何人ものFilhoさんに会ってきたのに、これが○○ジュニアとか△△ジュニアという意味とは認識していませんで、つい赤面。

スペイン語圏でHijoというのが名前に付いた人と会ったことがないので、名字の一部だとずーっと思っていた訳です。 英語だって誰々Sonなんて言わずにせいぜいJr.ですから。

もう34年前、入社したての頃にアメリカからの肥料原料の輸入担当になって、積出港タンパの乙仲(港湾業者)さんの会社名が「野蛮人と息子」という意味の英語名でビックリしたことがあり、アメリカでは随分変わった名字があるもんだ、と思ったのですが、今回のエピソードはそれ以来の驚きでした。

これからポルトガル語圏で仕事をされる方、ご注意を。


で、今度はベネズエラで息子に自分と同じ名前を付けた旧友ウェリントン君の話。息子の名前はJr.でもHijoでもなく、ウェリントン・アレハンドロ、普段は親父と同じくウェリントンと呼びます。30年近く、これがラテン風名前の継ぎ方と思い込んでいた訳です。


ウェリントンは88年にベネズエラに赴任した際の同僚で、年齢も小生と同じ、長男が生まれたのも長女が生まれたのも我が家と同じ年ということで、当時は家族ぐるみで仲良くしていました。

その後、彼は事情があって奥さんと離婚、今はパナマに移り住んでいるのですが、離婚した奥さんミーマとウチの家内はその後もずーっとやり取りをしていて、ウチの長女と同じ歳の向うのお嬢さんルシアが結婚するということで、先週末のマイアミでの式と披露宴に呼ばれました。(お金やチャンスに恵まれたベネズエラ人の多くがマイアミに住んでいて、その総数は50万人ともいわれています。)

ラ米生活14年目になって、実はラ米人の聖地マイアミに滞在するのは今回が初めて。マイアミ空港は乗継で何度も利用していますが、南米からマイアミに到着する便での入国審査は米国の他のどの空港よりも時間が掛かって、往々にして乗継便に間に合わなくなる、最悪の空港として有名なので、つい今まで降り立つ勇気が出なかったのです。


で、今回の初マイアミ滞在でお世話になったのはやはり昔の同僚で21年前に米国に移住したエリザベス。これまた隣の部の同僚だったラファエル君と結婚して、自分と同じ名前を付けた13歳のお嬢さんと一緒に暮らしていますが、我々の案内の為に自分の仕事を休み、お嬢さんの学校まで休ませて、フルアテンドしてくれました。ラ米では友人は家族に次ぐ絆の強さを持つ関係で、何年経っても空白の時間など無かったかのように接してくれた事には感謝感激の一言です。


話を結婚式に戻しますと、新郎の家族は亡命キューバ人。従ってカトリック教会での神父さんのスピーチは英語とスペイン語のチャンポン、その後の両家の披露宴はいきなりサルサダンスで始まって、宴会の間中ずっとダンス音楽が掛かっている典型的なカリビアン・ラテン・パーティーとなりました。(ブラジルのパーティーではダンスは後半にゆっくり始まりますが。)

ただ、新郎のジャスティン君と話して驚いたのは、英語は当然流暢に話すものの、スペイン語はたどたどしく、ご両親と普通にスペイン語で話したあとに違和感を感じた事です。


御両親は我々と同じ世代。ということは、キューバ革命前後、幼少期に米国に渡ったものの、WASPが支配していた当時の米国でスペイン語しか出来ない為に苦労をされ、それで子供にスペイン語を話させなかったのだろうと推測し、少し複雑な心境になりました。

ブラジルにも日系のファミリーが大勢居られますが、見た目は普通の日本人なのに日本語を全く話さない人の割合がかなり多く、むしろ全くアジア系に見えない顔だちの人達が流暢な日本語を操るケースに驚かされますが、これも戦後の勝ち組負け組騒動といった暗い歴史や敗戦国の汚名を背負って外地ブラジルで生き残る為に取られた選択肢だったのだとすると、言葉の背景にある歴史に改めて思いが馳せられた次第です。


息子の名前を自分と同じにしてFilhoを付けるのは、きっと成功した父親がその成功を生まれたばかりの息子に継がせたいという思いからでしょうが、自分の息子Filhoや娘Filha達に自分たちのような苦労を掛けないために言葉を継がせない教育があったことは、もう一つの重い事実です。

さて、今週木曜日28日はDia Mundial do Sorriso(世界 笑顔の日)でした。これはHarvey Ballという米国の商業デザイナーが1963年に所謂ニコニコマーク📷を発案したことに由来し、世界中に笑顔を広めようという記念日だそうです。

ただ、世界的には10月がWorld Smile Dayだそうで、何でブラジルでこの日が選ばれているのかは不明、因みに日本では2月5日がニコニコの日だそうです。

これからの新しい歴史も、ともかく笑顔で暮らす日々の積み重ねであり続けたいものです。

さて、ブラジル滞在もあと一カ月を切りました。6月からは新たに「南米のへそ、パラグアイの言葉」として、珍しいガラニ語も含めてパラグアイの文化や様子をご紹介して行きたいと思っています。

ただ、これまで全く反応を頂いていない方々への配信は控えさせて頂きますこと、ご了承願います。

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