Kaz Suzurida
パラグアイの言葉 sello(セジョ)=切手・スタンプ・商標 英:stamp 葡:selo
パラグアイが原料輸出国から抜け出すべき、と常々主張していますが、今週はその成功例が記事になっているのでご紹介します。
https://www.lanacion.com.py/mitad-de-semana/2019/09/04/a-europa-con-el-sello-made-in-san-pedro/
San Pedroというアスンシオン北東の県で、レモングラスやオレンジの皮の日干しが特産品として地元San Pedroのブランドで欧州向けに売れているという話。5月にその活動を紹介する講演会があったので出向いてきましたが、本当に素晴らしい活動が行われていて、こうした動きを国中に広げなければ、と感じ入った次第です。
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ところで、Youtubeでラテンアメリカ諸国の経済成長に関する超面白い動画グラフを見つけたのでご紹介します。
https://www.youtube.com/watch?v=dLrfgLF8_tc
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20世紀初頭はGDP=347億ドルのメキシコが最大勢力で、一人当たりの所得では5762ドルのアルゼンチンが群を抜いて高い様子が判ります。
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アルゼンチンは食糧の欧州向け輸出などで経済力を高め、1908年7月に446億ドルのGDPでメキシコを抜き去ります。一人当たりの所得も7000ドルを超えています。日露戦争の軍備増強の為に1903年にアルゼンチン海軍から二隻の軍艦を購入した時代です。
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欧州で勃発した第一次世界大戦により、食糧庫としてのアルゼンチンは益々重要性を高めます。人口の急増により、一人当たり所得は少し減っていますが、依然としてラ米最高の経済力を示しています。
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欧州で二度目の対戦が始まる頃にはアルゼンチンの経済力は倍増していますが、いつの間にかブラジルがメキシコを抜き去って二位に着いています。それと、機械を動かす戦争になったことで産油国ベネズエラの所得が大幅に増えています。パラグアイもグラフに登場し始めます。
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第二次大戦で疲弊した先進諸国への供給拠点となっていたラ米地域は世界経済における相対的地位を高め、朝鮮戦争の始まった1950年にはブラジルGDPで首位に立ち、個人所得でも1947年10月にアルゼンチンがラ米で初めて個人所得1万ドルを達成したものの、二年半後に産油国ベネズエラが首位に躍り出ました。
因みに、ジャンポール・ベルモンド主演のフランス映画「リオの男」が世界的にヒットした1963年頃はブラジル・アルゼンチン・ベネズエラは、「最早戦後ではない」と言いながら経済復興に頑張っていた日本にとっての手本となる先進国で、旅行先としても世界中の憧れの国々だったのです。
https://japon.tv5monde.com/Resources/Articles/%E6%98%A0%E7%94%BB/YUSUKE-KENMOTSU/2015/12/L-HOMME-DE-RIO-%E3%80%8E%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%81%AE%E7%94%B7%E3%80%8F?lang=ja-JP
僕が生まれた昭和34年度=1959年度の日本の平均所得は20万円!当時の為替レート360円/ドルで換算すると577ドルでした。如何に南米の暮らしが豊かに見えたか、想像できますか?
https://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/data/data_list/kakuhou/files/rekishi/pdf/4001_5.pdf