2019年2月3日
今週はパラグアイ北西部にあるチャコ地方を訪問してきました。下の地図では西部地方と書かれたピンク色のエリアがチャコ地方。
📷 東部地方と西部地方を分けるのはパラグアイ川です。
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日本の1.1倍の国土面積を持つパラグアイ、人口は僅か700万人弱で、そのほとんど(90%以上)がパラグアイ川東側に居住しているので、国土面積の三分の二を占める広大なチャコは多くのパラグアイ人にとっても未踏・未開の地というイメージです。
アスンシオンからパラグアイ川を渡るRemanzoの橋を渡って国道9号線を北西に進むのがチャコ訪問の王道。すると51㎞地点にいきなり日本語の看板が出て来て驚きます。
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しかし、広大なチャコを実質的に支配しているのは、メノニータと呼ばれるドイツ系の移民で、看板でもお分かりの通り、主要な街では今でもドイツ語が使われています。ドイツ系と言っても、ドイツやオランダのキリスト教メノー派の人達というのが正しい表現で、パラグアイではドイツ人(Aleman)ではなく、メノニータ(Menonita)と呼ばれています。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%8E%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%88 物理的な中心は、南米のヘソとも言われ3.6㎞の大型舗装滑走路を持つマリスカル エスティガリビア市ですが、人口の中心でボケロン県庁も所在するフィラデルフィア市が実質的なチャコの中心地と言えます。フィラデルフィアの近くにロマ・プラタ(Loma Plata)とノイランド(Neuland)というドイツ系居留地があって、これらの街が政治と経済の中心を成しています。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%A9%E3%83%87%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%A2_(%E3%83%91%E3%83%A9%E3%82%B0%E3%82%A2%E3%82%A4) そして、フィラデルフィアを実質的に構成しているのがFernheim農協です。 https://www.fernheim.com.py/en/
ということで、今日の言葉はドイツ語のFernheim。Fernは遠いという意味、Heimはセキスイハイムで同じみ、家ということです。
📷 ↑Fernheimの最初の建物は現在移民博物館になっています。
因みにNeulandはNew Land=新しい土地(ドイツ語)です。Loma Plataは銀の丘という意味のスペイン語。
これら三つの街は、銀行も病院も学校もスーパーもホテルも皆農協の傘下にあって、農協が運営する街で、住民も多くが組合員という構成です。
1870年代にドイツからやってきたメノー派の移民達は厳しい暑さや質の悪い水に苦しみながら、牧畜や農耕で生活を確立し、今の立派な居住地を作り上げました。アスンシオンからでも片道500㎞の道のり、今でこそ国道9号線は立派な舗装道路ですが、それでも途中穴ボコだらけの区間があったりして、運転には神経を消耗します。道なき道をかき分けてこの地に到着し、生活を確立した移民の皆さんのご苦労を博物館で学び、文明の利器に囲まれた今の暮らしの有難味を改めて思い知らされました。
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